1(遊) 福田和子逮捕
1982年に松山市内で同僚のホステス(31歳)の首を絞めて殺害し、死体を山中に遺棄した「松山ホステス殺害事件」を起こし、15年近くにわたって逃亡していた福田和子(当時49歳)が7月29日、福井市内で逮捕された。
公訴時効が成立する21日前のことであった。
福田の逃亡劇は逮捕後、ニュース番組で大きく取り上げられたのみならず、多数の小説、ドラマ、映画の題材となり、未だにバラエティ番組なんかで取り上げられることも多い。
また本人も逮捕後に半生記をつづった著書を出版している。
わが国史上一番有名な逃亡犯と言っても過言ではないだろう。
福田はその後、無期懲役の判決を受け、2005年2月に刑務所内での作業中に、くも膜下出血で倒れる。
意識回復のないまま翌3月10日、和歌山市内の病院にて脳梗塞により死去した(享年57)。
2(左) 奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺害事件
5月4日午後、奈良県添上郡月ヶ瀬村(現・奈良市月ヶ瀬)にて、村内に住む女子中学生・Мさん(当時13歳)が卓球大会からの帰宅途中に行方不明となった。
村民、警察の捜索により、Мさんのスニーカーが発見され、すぐ近くの路上とガードレールには血痕が残り、ブレーキ痕もあった。
さらに近くの公衆トイレから切り裂かれたジャージと、血痕が付着したダウンベストなどが発見された。
警察はМさんがひき逃げや事件に巻き込まれた可能性があるとして捜索を開始し、捜査線上に同村に住む丘崎誠人(当時25歳・無職)が浮上した。
7月25日午前3時過ぎ、奈良県警は丘崎を略取誘拐の容疑で逮捕した。
丘崎は当初犯行を否認していたが、Мさん行方不明後に売却した四輪駆動車の後部座席から発見された血痕のDNAがМさんのものと一致したこと、切り裂かれたジャージから丘崎の車のタイヤ痕が発見されたことなどを追及されると犯行を認めた。
丘崎は「車を運転中、偶然帰宅途中のМさんを発見した。そこで顔見知りであるМさんに『家に送ってあげる』と声をかけたが無視された。
度重なる村八分によるストレスと相まって、衝動的に歩いている被害者の背後から車で轢き、発覚を恐れて連れ去り三重県上野市(現・伊賀市)の山中で首を絞めた上で石で撲殺した」と自供した。
月ヶ瀬村には地元民2名の推薦がなければコミュニティに参加する事が出来ないという「与力制度」が存在していた。
江戸時代の「五人組」に源をもつという、この制度が村八分という差別を作り出している元凶となっていたという。
丘崎側は、丘崎家もこの差別行為の標的にされ、精神的に追い詰められていたと主張した。
事件から約30年前に同地に移住してきた丘崎の家は、いわば「新参者」扱いだったとされ、「村入り」を許されていなかったが、民生委員が地主に取り計らい、茶畑の奥にあった雑木林の小屋を月1万円程で貸してそこに住むことを許した。
その民生委員は皮肉にも、Мさんの祖父であった。
98年10月、奈良地裁は懲役18年を言い渡すも、検察側が控訴。
2000年6月、大阪高裁は一審判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。
上告を勧める弁護団に対し、丘崎は訴えの取りさげを希望し、刑が確定した。
01年9月4日、丘崎は収監先の大分刑務所の独居房でランニングシャツを紐状にして窓枠にかけて首を吊って自殺、享年29。
遺書はなかった。
3(三) 東電OL殺人事件
3月19日夕、東京都渋谷区円山町のアパート1階の空き室で、東京電力女性社員(39歳)の他殺死体が発見された。
被害者は、3月8日深夜から9日未明にかけて、この空き室で首を絞められて殺害されたとみられ、財布から1万円札が抜き取られて小銭だけが残されていた。
その後の調べで、女性社員は慶應大学卒、一流企業勤務のエリート社員でありながらも、夜はいわゆる「立ちんぼ」行為を行っていたという事実が明らかになり、報道が過熱していった。
5月20日、警視庁は、殺害現場の隣のビルに住み、不法滞在していたネパール人、ゴビンダ・プラサド・マイナリ(当時30歳)氏を強盗殺人容疑で逮捕した。
ゴビンダ氏はこのアパートの隣のビルの4階に、同じく不法滞在のネパール人4名と住んでおり、被害者が生前に売春した相手の1人であった。
逮捕されたゴビンダ氏は一貫して無実を主張したが、2000年12月、東京高裁は、現場の便器に残されていたコンドーム内の精液や、現場から発見された陰毛がマイナリ氏のものであることなど、いくつかの状況証拠を理由に有罪とし、無期懲役判決を言い渡した。
03年10月、最高裁で上告が棄却され、無期懲役の有罪判決が確定した。
しかし、後に様々な証拠の矛盾が判明。
検察側は自分たちに不利な証拠を隠していたのではないかと批判が起きた。
2012年6月7日、東京高裁は、再審開始を認めるとともに、ゴビンダ氏の刑の執行を停止する決定をし、ゴビンダ氏は同日中に釈放された。
同年11月7日、無罪が確定している。
しかし、真犯人の逮捕には至っておらず、未解決事件となっている。
4(一) 神戸連続児童殺傷事件
5月27日早朝、神戸市須磨区で24日から行方不明になっていたH君(11歳)の頭部が神戸市立友が丘中学校の正門で発見される。
口には「酒鬼薔薇聖斗(サカキバラセイト)」の名で書かれた犯行声明文が挟まれていた。
同日午後、胴体部分が近くの山で発見された。
6月4日には、同じく「酒鬼薔薇」と名乗る人物から神戸新聞社宛に犯行声明文が届き、報道は過熱、劇場型犯罪の様相を呈した。
逮捕されたのは、それまで報じられていた犯人像とは似ても似つかない同区に住む友が丘中学校3年生の少年(当時14歳)であった。
少年は2月に、小学6年生の女児2人をハンマーで殴り怪我を負わせていた。
また3月には、小学4年生の女児の腹を刺して重傷を負わせ、同時に別の4年生の女児の頭をハンマーで殴り死亡させていたことも自供した。
少年は関東医療少年院に収容後、2004年3月に仮退院、05年1月に本退院となった。
2015年6月、元少年は『絶歌』を太田出版より刊行。
10万部を超えるベストセラーになったが、連絡が無かったと遺族が反発し、一部書店では取り扱いを行わない、一部図書館で購入しないなど、社会的問題ともなった。
さらに同年には、「存在の耐えられない透明さ」と題する公式HPを開設したが、大きな批判を浴び、翌16年10月に閉鎖されている。
5(指) 山一證券破綻
日本経済は1990年代初頭にバブル崩壊を経験して以来も、低調ながら名目経済成長は続いていた。
だが、4月の消費税引き上げ(3%→5%)により景気は急減速し、やがて不良債権問題でくすぶっていた金融システム問題が一気に火を噴いた。
11月に北海道拓殖銀行が大手銀行として戦後初めて経営破綻、さらに四大証券の一角であった山一證券が自主廃業した。
97年は、バブル崩壊が日本経済にもたらした傷痕の大きさを国民全員が目の当たりにした節目の年であったといえる。
6(二) JT女性社員逆恨み殺人事件
4月18日午後9時30分頃、 JT(日本たばこ産業)の女性社員(44歳)が東京都江東区大島の自宅マンション4階エレベータホールで倒れているところを同じマンションに住む住民が発見した。
女性社員は、腹部など数ヶ所を鋭利な刃物で刺されており、現場は血の海となっていた。
女性は間もなく死亡した。
捜査本部では、通り魔的犯行と怨恨の両面で捜査を開始した。
その結果、以前この女性社員に強姦致傷事件などを起こし、告訴され実刑で服役していた男が最近になって出所していることが判明した。
そこで、捜査本部は男の行方を捜査し、無職・持田孝(当時54歳、殺人の前科有り)を殺人の疑いで逮捕した。
持田は服役中、「警察に訴えられたことが悔しくて、出所したら恨みを晴らそうと思っていた」と供述した。
犯行の2ヶ月前に出所した持田は復讐のため、女性社員の帰宅を待ち伏せし、刺殺したのだった。
この事件を重く見た警察庁は4月29日、再被害を視野に入れた凶悪事件の捜査を全国の警察に指示、再被害の恐れが高いと判断した場合は加害者の出所時期を事前に被害者へ連絡する方針を発表した。
本事件は「逆恨み殺人事件」「お礼参り殺人事件」などとして大きく報道され、近隣住民に恐怖感を与えるとともに、一般社会にも大きな不安感・衝撃を与えた。
一方、犯人の持田は1999年5月、東京地裁から無期懲役を言い渡された。
これに対して検察側が控訴し、2000年2月、東京高裁は「動機は理不尽の極みで被害者の申告に悪影響を与えかねない」と無期懲役を破棄して持田に死刑を言い渡した。
これに対して持田は上告したが、04年10月、最高裁は持田の上告を棄却し、死刑が確定した。
08年2月1日、東京拘置所で死刑執行、享年65。
7(中) ポケモンショック
12月16日18時30分からテレビ東京系で放送されたテレビアニメ『ポケットモンスター』第38話「でんのうせんしポリゴン」の一部視聴者が光過敏性発作等を起こし救急搬送された放送事故・事件。
8(右) 伊丹十三自殺
12月20日、『お葬式』『マルサの女』などで知られる映画監督の伊丹十三(64歳)が伊丹プロダクションのある港区麻布台のマンション南側下の駐車場で、飛び降りたとみられる遺体となって発見された。
葬儀は故人の遺志により執り行われなかった。
当初からその経緯について様々な説が飛び交った。
1992年の『ミンボーの女』公開後に全治3ヶ月の重傷を負う襲撃事件があったことから、当初から暴力団の関与を疑う声はあった。
ただ、事務所にワープロ印字の遺書らしきものが残されており、そこに「身をもって潔白を証明します。なんにもなかったというのはこれ以外の方法では立証できないのです。」
との文言があったことから、写真週刊誌『フラッシュ』によりSMクラブ通いや不倫疑惑が取り沙汰されたことに対する抗議の投身自殺か、とも推測されるようになった。
一方、大島渚や立川談志など古くから伊丹を知る人物は、警察が死因を「自殺」と断定した後も「不倫報道ぐらいのことで、あいつは自殺しない」「飛び降り自殺は絶対に選ばない」と話し、自殺を否定する見解に立っている。
なお、古くから創価学会関与説がまことしやかに語られているが、創価学会は事実無根として某インターネット掲示板の書き込みに対し訴訟を起こしている。
2009年2月、東京地裁は創価学会側の主張を認め、掲示板の管理者に80万円の損害賠償を命じた。
9(捕) 農水省オウムソング事件
5月23日と同26日に、HTMLタグを利用した攻撃により、農林水産省のウェブ掲示板を閲覧すると「尊師マーチ」が流れ出すという事態が発生。
マスコミ・警察等を巻き込んで事件へと発展した。
国内初のサイバーテロであるとする向きもあるが、政府公式見解ではない(サイバーテロ評議会)。
オウム真理教信者宅への家宅捜索をもって事件の決着は図られたが、詳細は明らかになっていない。
P(投) プロ野球脱税事件
名古屋市の経営コンサルタントと会社役員の2人が、プロ野球選手に所得税の一部を免れるようもちかけ、経営コンサルタント名義の偽の領収書で架空経費を計上したり、架空の顧問料を支払ったことにして数百万円から数千万円の所得を隠していたことが発覚。
脱税行為そのものは、1994年前後に行われていたが、97年末に事件の全容が明らかとなった。
また、この事件に関する捜査により、選手がかつて所属した学校や社会人チームの監督などに、プロ入り時に受け取る契約金の中から多額の謝礼を支払う慣習の存在が明らかになった。
翌98年2月6日までに起訴された全選手の判決が下り、同9日にコミッショナーから各選手の処分が発表されたが、最も重い選手で一軍の公式戦開幕日から出場停止8週間であり、処分が甘いとの批判もあった。
これは、黒い霧事件で有罪判決はおろか刑事訴追すらされなかった池永正明が永久追放処分を受けたのと比較してのことである。
また、プロ野球選手のみならず、事件の中核となった名古屋市を本拠地とするJリーグ・名古屋グランパスエイトに当時所属していた平野孝も、この脱税事件に関与していたことが明らかになっている。
名古屋地方裁判所の裁判で、被告人である鳥越裕介が「世間を騒がせてすいませんでした」と陳述したところ、
裁判官は「あなたは脱税という法律違反を犯し、その罪を悔いて反省すべきなのだ。『世間を騒がせたから申し訳ない』という言葉からは本当に罪を自覚しているのか極めて疑問だと言わざるをえない」という厳しい言葉を返した。
また、判決を言い渡した時、裁判長・川原誠は 「例え、鳥越被告人が打率.300・.350打っても、山田(洋)被告人が15勝挙げようとも関係ない。社会人として、してはならないことを忘れてしまうとグラウンドで活躍できなくなる」という言葉を添えて両被告人を諭したエピソードはよく知られる。