富永恭次陸軍中将
フィリピンで陸軍の航空特攻を指揮。マッカーサー軍が迫ってくると、まだ上陸もしていなのに、司令部の許可なしにお気に入りの少数の参謀と芸者を連れて飛行機に沢山のウィスキー瓶を載せて台湾に逃亡。
菅原道大陸軍中将
陸軍特攻の中心だった第六航空軍の司令官。特攻隊を次々を送り出し、エンジン不調などで戻ってくると「卑怯者!死ぬのが怖いのか!」と殴り倒した。敗戦で部下が自決をすすめたが「死ぬのだけが責任を取る事ではない」と逃げ回り、96歳で極楽往生。陸軍特攻隊の最年少は17歳でした。
海軍軍令部総長・及川古志郎大将
大西中将発案の特攻隊を容認。「命令でやってくれるなよ」と言ったことになっているが、あやしい。人間魚雷「回天」の時はそんな事はまったく言っていない。
玉井浅一海軍大佐
玉井が司令をやっているフィリピン基地で、機体不良で戻ってきた特攻隊員がいた。やがてその部隊が本土へ戻る事になった。その特攻隊員が他の隊員たちと輸送機に乗り込もうとしたら、玉井は「待て!お前は特攻隊で死んでもらう事になっている」と輸送機から引きずりおろした。自分はその輸送機で本土へ帰っていった。戦後坊主になりましたが、そんな事で誤魔化せません。
中島正海軍中佐
フィリピンの海軍航空隊の飛行長。ある大尉に米軍がレイテ島に設置した桟橋への体当たりを命じた。大尉いわく「いくらなんでも桟橋とは、、、せめて輸送船でも」と言ったら、「文句を言うんじゃない!特攻の目的は戦果ではない。特攻の目的は死ぬ事だ!」と怒鳴りつけた。その大尉は帰ってきませんでした。中島はパイロットだったにも拘わらず自分では出撃せず、戦後も生き残ってもう一人の海軍航空隊の士官である猪口力平と「神風特別攻撃隊」というウソだらけの本を出し、特攻隊員の命と引き換えにカネをもうけた。特攻隊を美化し特攻隊員を神格化して自分たちの無能、無責任を隠そうとした。
黒島亀人海軍大佐
その奇抜な着想で山本五十六に重用されたが(真珠湾攻撃企画など)、人間魚雷「回天」を促進。「必ず脱出装置を付けます」と天皇にウソをついて認可を得た。
倉澤清忠陸軍少佐
菅原道大の部下で第六航空軍の参謀。特攻隊を次々と送り出し、機体不良で戻ってきた搭乗員を「卑怯者!」と殴り倒し、振武寮という宿舎に軟禁して毎日毎日「「死ねないようないくじなしは特攻隊の面汚しだ。国賊だ!」のののしりまくり殴りまくった。余りの悔しさに自殺したものもいます。倉澤は終戦時28歳。自分で飛行機に乗って特攻をかければよかった。戦後は元特攻隊員が復讐にくる、と恐れてピストルを持ち歩き、寝る時は枕元に日本刀を置いて寝たそうです。